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沖縄戦の戦闘経緯→慶良間列島・沖縄本島上陸→本島北部・伊江島の戦闘→ 本島中部・首里の戦闘→本島南部の戦闘→大東諸島の戦闘→宮古・八重山の戦闘
中部・首里戦線の戦闘で6万人の兵力を消耗した日本軍に対して米軍は、掃討戦の形をとって追いつめていった。南部一帯は那覇・首里・中南部からの避難民と敗走する守備軍の入り乱れる戦場と化した。米軍は、艦砲射撃・爆撃・火炎放射器などあらゆる近代兵器を使って攻撃した。さらに日本兵や住民が隠れている壕に対しては「馬乗り攻撃」を行ったため、多くの人々が犠牲となった。6月23日(22日の説がある)、牛島司令官の自決によって守備軍の組織的戦闘は終了した。